加茂健豆美命神社-かもたけづみのみことじんじゃ-
加茂健豆美命神社
鎮座地

大阪府枚方市走谷1-17-2

御祭神

加茂健豆美命

祭日

春祭   4月15日
例大祭  10月15日

由緒

 人皇五十代桓武天皇の御代、勅命により和気清磨呂公、この地を河内の一宮として「賀茂の大神」を斎き祭る。
 祭神「賀茂の大神」は、神武天皇国を建つるにあたり、畿内の豪族として大功をたて、山城の国を賜るや、民生の安定に貢献、ために「賀茂御祖の大神」として奉祭さる。今の京都「下鴨神社」これなり。御分霊を当地に迎えるに当たり、賀茂の社家の人々多く移り住み、堂山に三千坪の神域を開き、その中腹に広壮な社殿を造営せり。丘の下を走井と言い、今の走谷これなり。近くに清列な御手洗川あり。社参の人々この川にて禊し、敬神の誠を捧げしという。しかるに約六百七十年を経て応仁の乱おこり、惜しくも兵火にかかり一切の財宝焼失し、今に残れる物なしと言う。されども今日、走谷に宮の上。宮の下。門前。堂前等の地名が残れるは、往時の隆盛を窺うに足ると言うべきか。わが「加茂神社」は、これより百六十年を経て、寛永六年に「産土神」として再建され、氏子の年長者が「一老」と言いて神主となり、氏人が祭員となりて春秋の祭典を執行せり。明治五年「蹉跎神社」に合祀、同十二年、現在地に復社し今日にいたる。明治三十九年、加茂の森の浄財をもって拝殿を、昭和四十九年、本殿を改築せり。境内に「御手洗社。琴平社。」の小祀あり。神と人、相和し、神霊に仕えるはわが民族の卓越せる資質にして、わが走谷も千百余年にわたりて「賀茂の大神」を奉祭す。