片埜神社
片埜神社
鎮座地

大阪府枚方市牧野阪2-21-15 (旧河内国交野郡牧郷坂村)

御祭神

建速須佐之大神、菅原道真公、外九柱

祭日

えびす祭  1月9日、10日、11日
春祭     4月15日
秋祭     10月15日
お火焚祭  12月13日

由緒

交野台地の一角、牧野阪に鎮座する当社は、延喜式内社の古社であり、素盞鳴尊・菅原道真公を主神として十一柱の神々を奉祀している。第十一代垂仁天皇の御代に出雲の国の豪族「野見宿禰」が「当麻蹴速」との相撲に勝ち、その恩賞に、河内国を拝領し、出雲の祖神「素盞鳴尊」をこの地に奉祀して、土師氏の鎮守としたのが草創である。
その後、欽明天皇の勅願をもって、「片野神社」と称し、平安中期の村上天皇天徳四年に「野見宿禰」の後裔「菅原道真公」を併祀した。平安時代は広大なる神域・神領と宏壮な社殿を有し、官幣の社として社運隆盛を極めたが、戦国の争乱で幾度かの兵火にあい荒廃していたのを、豊臣秀吉が修築した。大阪築城の際には艮(東北)の方位に当たる此の社を、錦城の鬼門鎮護の社と定めて尊崇した。
さらに、慶長七年(一六〇二)豊臣秀頼は片桐且元を総奉行として、本殿・拝殿・築地・経堂・別当などを大造営した。現在の本殿・南門がそれである。特に本殿は、桃山時代の建築の粋として、国の重要文化財に指定されている。
往古、この附近は交野ヶ原と呼ばれ、王朝時代大宮人の遊猟の地として歌枕になり、また、桜の名所で世に聞こえたところでもある。「落花の雪に踏迷ふ片野の春の桜がり」とある太平記の一節は、ここ交野ヶ原を詠んだものである。なお、「交野の御社」「一ノ宮」と尊称されて来たこのお社は、桃山時代より、大阪鬼門除・方除・厄除等で知られ、特に家相方位の守護に霊験あらたかな神様として、一般に尊信厚く、遠近からの祈願者が跡を絶たない。

本社は中・近世に専ら「一ノ宮(河州一ノ宮・河内一ノ宮・牧一ノ宮)」又は「一宮牛頭天王(近世)」と称し、正式社名としていた。「片埜神社」の社名を復活したのは明治以降である。なお、本神社を「一ノ宮天王社」と記述(錯誤記述)があるから注意を要する。一ノ宮天王社とは近村に別に存在していた神社である。