- 鎮座地
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大阪府枚方市南中振1丁目7-18
- 御祭神
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菅原道真公
- 祭日
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春祭 4月15日
例大祭 10月15日
節分祭 2月3日
- 由緒
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ご祭神菅原道真公は平安時代の学者で文章博士となられ宇多天皇の信任が厚く右大臣に昇られましたが、左大臣藤原時平の策略によりて延喜元年(九〇一年)正月、大宰権師として京の都より九州の筑紫(福岡県)にあった大宰府(大朝廷の出先機関)に御左遷の途中、此の山にて休息せられ遥に京の都を望み名残を惜しまれたのち西へと旅立たれました。この休息せられた山を菅相塚と云います。
都に残られた人々の中でも菅公が特に可愛がっておられました苅屋姫が、別れを惜しまれて御跡をしたって此の地まで来られましたが、菅公はすでにご出発されました後でお逢いになれなかった。此の地で遥に西を望み蹉跎(あしづりすること)して悲しまれましたのでその旧跡を蹉跎山と名づけられています。
菅公は身の丈三尺二寸のご自身のご座像をお手づから作られましたものを村人が当山に社殿を造営し近郷二十有五個村の産土神(総社)としてお祀りしました。その後慶長十九年(一六一四)の兵乱に社殿は炎焼しましたがご神像のみ厳然とませましたので再建され中振・出口両村の産土神として奉祀されました。
創建より幾多の変遷を経て明治五年より郷 社に昇格。明治二十二年三月社殿を改築し明治四十年八月府告示を以て、幣饌料供進社に指定され、今日に至っております。