三島神社-みつしまじんじゃ-
三島神社
鎮座地

大阪府門真市三ツ島1374

御祭神

天照皇大神、素盞鳴尊、大巳貴命

祭日

宵宮祭  10月21日
例大祭  10月22日

由緒

 当社は、門真市南部、府道深野南寺方線京阪バス停三ツ島下車北へ徒歩一分、または地下鉄長堀鶴見緑線門真南駅下車北へ徒歩十分に位置する。古来山王権現と称したが、明治三年四月今の社名に改めた。近江国の山王総本宮日吉大社より御分霊を勧請し、当村の氏神として奉祀したことは、江戸時代末、安政三年(一八五六年)の神社改築時の棟札により明らかであるが、創建の時期は不詳である。詳細な史料は残されていないが、宮座関係者から近江国の農民移住の伝えが語り継がれている。
 山王権現は、伝教大師がシナ(中国)の天台山の山王祠に模して、比叡山延暦寺の守護神として山王祠を建立したのが初めである。その祭神は天台一実神道の本尊として、いわゆる山王三社といい、これに八王子客人、十禅師等を加えて上七社、下七社総称して山王二十一社といわれる複雑なる神であるが、これを要約して素盞鳴尊と 大巳貴命(即ち大国主命)としたのである。明治五年郷社に列し、同四十一年八月二十一日大字稗島字堤下の村社堤根神社(祭神天照皇大神)を合祀したので、現在の祭神は表記の三神となった。同四十二年八月神饌幣帛料供進社に指定された。境内は三〇七坪を有し、本殿の外に、拝殿・手水舎・社務所・大石燈籠を存す。この燈籠は、明治初年に当村が大阪の石屋から買取ったもので、大正の頃までは当地の樋口家で燈明をあげていた。

薫蓋樟

(国指定天然記念物)
薫蓋樟

 本殿前の大楠は、「薫蓋樟」といわれ大楠の中でも特に有名である。根元に瘤起多く、目通り周囲約十三・一メートル、高さ約三〇メートル、枝振りは東西に約四〇メートルで、楠の大きさとしては全国有数のものである。昭和十三年(一九三八年)五月十日付で、当時の内務省より国の天然記念物に指定された。少なくとも一〇〇〇年以上の樹齢をもっていると思われる。根元に碑があり、左少将有文の歌が刻まれている。

村雨の あまやどりせし 唐土の
  松におとらぬ 樟ぞ此のくす

この和歌の作者、左少将有文とは公家の千種有文(一八一五~一八六九)のことで、幕末から明治維新にかけて岩倉具視らと共に活躍しました。しかし明治二年に死去したので、具視ほどには有名になりませんでした。本姓は村上源氏の久我家末流で家禄は一五〇石、代々和歌の家柄として知られています。
 この薫蓋樟に代表される楠は、市内の社寺等で雄姿を見ることができ、広く市民に親しまれています。楠はわが国に産する樹木中最大の常緑樹で、地にどっしり根をおろし、大空に向かって高くそびえるその姿は、門真市の将来を象徴するものとして「市の木」にも選定されています。(昭和四十八年一月)