堤根神社-つつみねじんじゃ-
堤根神社
鎮座地

大阪府門真市宮野町8-34

御祭神

彦八井耳命(ひこやいみみのみこと)、神武天皇第一皇子、菅原道真、若宮大神

末社

蛭子社    御祭神 蛭子大神
九頭八幡社 御祭神 九頭大神、八幡大神
三宝宅神社 御祭神 火産霊神、句々廼馳命、水速女命、産狭智命、闇淤加美神闇御津羽神

祭日

10月 第3土・日曜日

由緒

 当神社は仁徳天皇の御代の茨田堤築堤を起源とすると伝わっています。茨田堤は日本最古の築堤といわれており、大国家事業として当時の最先端技術を持って行われ堤の完成により農耕文化の発展と経済的基盤が確立したとされ、現在日本の発展の礎になったといわれています。当神社の由緒として次のように伝わっています。
 仁徳天皇の御代北河内の治水を為し給うに当たり、先ず内外に線の茨田の堤を築かれる。而して堤は既に成りたるも、外堤には尚二ヶ所の断間あり塞ぎ叶わず。潰流内堤に切迫して工事いよいよ困難なり。
 天皇深く之を憂い給う時に神夢あり。曰く『河内皇別茨田連袗子(ろもこ)を召して事に当らせれば必ず成就せん』と之において天皇直ぐに袗子を探し給いに神夢のごとく河内にあり。よってこの事を命じ給う。袗子謹みて勅命を拝し第一にその成功を記念せんが為に内堤の辺りに祠を建て河神を祀り而して袗子は二個の瓠をとり塞ぎ難き水に臨み請いて曰く「禍神何ぞ祟る。吾幣となさんが為に今茲に来る。」吾を得んと欲せば先ずこの瓠を沈め而して浮かばしめざれば、即ち吾真神と知り水中に入らん。もし瓠を沈め得ざれば吾自ずから偽神と知る。「何ぞ徒に吾身を亡くさんやと」瓠投げ入れるや風忽ちおこるも、瓠水中に浮遊して沈まず流れ去る袗子意に介し神助を得て断間を修復し以って天皇の御慮を奉安。民の困苦を救う事を得たり。
 之全く袗子の才覚を持って大事を遂行し得たりとも、袗子我の微力に非ず。祖先の神助致すことなりと、河神を祀りし祠を改築し祖先たる産八井耳命を齋奉し氏神と尊崇せんにいたる。之即ち堤上に修祀する故を以て住古より堤根神社と尊称する所以なり。
 築堤後堤の安全を願い先人は護持発展に努め、江戸時代初期には永井信濃守尚政により菅原道真公を合祀し、また末社より若宮大神を合祀し現在に至っています。平安時代中期に編纂された延喜式神名帳には河内国茨田郡五座の第一位に列せられる門真市唯一の延喜式式内社で、鳥居前には河内と大和を結ぶ「行基道」が通じており古来より篤い信仰を集めています。近年では袗子の御遺徳により幸の守り神災難除け、大願成就の神様として信仰されています。