守居神社-もりいじんじゃ-
守居神社
鎮座地

大阪府守口市土居町2-22

御祭神

素盞鳴命、賀茂別雷神

祭日

7月25日、10月21日

由緒

 当社は醍醐天皇延喜十八年九月十九日(九一八年)此の地に鎮座して、素盞鳴命・賀茂別雷神をお祀りしてあります。社記に天道神・太歳神・歳殺神・また素盞鳴命・三輪明神・清瀧明神・日吉権現・新羅明神・三井神とも書いてあります。いづれも淀川流域の守護神として此の地に土居を築き社殿を構えてお祀りされたのが創りで、地名を土居の庄と称し、昔は土居神社と称号されておりました。明治五年八月に守口町大字土居字田東(現在の滝井)産土神社(祭神素盞鳴尊)を、また明治四十年十月に守口町大字守口字猿島(現在の桃町)大隈神社(祭神賀茂別雷神で昔は渦神社と称していた)が合祀されてよリ守口の総氏神として守居神社と称号されました。
 当社の社記によりますと後宇多天皇建治年間(一二七五年)釈法仍沙門、当社を以って神佛護法の道場とし、霊感によりて本地垂迹説を称え三社の神体を奉じて祈祷修法を行い「神威の高貴なること他に異にして、親しく横難中夭の危を救い給う、諸願満足すること幾千万という数を知らず」と記されてあり往時より御神威の赫々たる事が伺いしれます。
 後小松天皇嘉慶年間(一三八七年)此の地方にも兵乱起り疫病頻りに流行したので人々殺生五辛を禁断し、僧不閑沙門当社に祈願して災厄を鎮め難を遁れたと記録されています。ついで後花園天皇寛正四年(一四六三年)再び悪疫流行のあった時嘉慶の例にならい悪事災難を除く為に美しい花を作り祭祀を修し、鎮花の災祭を行ったとあり、現今の夏祭りとして今に伝えています。
 天文十三年(一五四四年)に林海の記した当社の由来記、寶暦十三年(一七六三年)圓龍の写書等によりますと、天文十三年七月九日に前代未聞の大洪水があり、大門鳥居流失し社殿失損宝殿流損したので地方に寄進を仰いで辛うじて其の社域を再興した。この時まで王城守護として北東向であった神殿を南向きに、宝殿を改造し営構したが昔日の結構には遥か及ばなかったという記録がみえます。
 昭和九年九月二十一日の室戸台風で社域の惨状恐懼の至りとなったので氏子崇敬者の寄進を仰いで境内地を拡張し現今の社殿に造営営繕が進められ昭和十六年十月総工事竣成し遷座奉祝祭が盛大に執り行われました。
 昭和二十三年六月当社奉賛会結成発足、爾来、遂年境内整備・社務所新築・社殿屋根造替・狛犬燈籠奉献等諸施設竣成し、遠近の参詣者は日増しに多く、諸願満足・悪疫防除・災厄解除・開運繁栄・福徳守護の御神徳益々輝いています。