- 鎮座地
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大阪府守口市佐太中町7-16-25
- 御祭神
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本社 菅原道真公
戎社 戎大神、告文天満宮、火乃迦具土神
白太夫社 白太夫之命
稲荷社 宇迦之御魂大神
愛宕社 火産霊神
- 祭日
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夏祭 7月24、25日
秋祭 10月19、20日
- 由緒
当宮は、学問の神様として崇敬厚い菅原道真公を御奉祀する神社であります。昌泰四年(九〇一)に菅公が筑紫の大宰府に遷せられし途中、公の御領地であった当地に暫時滞在され、その出立に際して御自身の木像と自画像を残されました。この時楊枝を土に挿し「わが身の無実の罪たる証拠として二葉の松となって生い栄えよ」と誓われたところ、程なく発芽して、見事な松の木に成長したので、その名を「アカ松」(明しの松)と称えられました。
延喜三年(九〇三)二月二十五日、公が大宰府で薨去されてより五十年後の村上天皇天暦年中に、里人がその徳を慕って、残しおかれた木像をお祀りしたのが佐太天神宮の創建であります。
それより河内国茨田郡大庭荘の惣社となり、天正八年(一五八〇)小出播磨守秀政侯が、続いて元和元年(一六一五)大坂夏の陣の後、三代目吉英侯が、社殿を再興、現在の社殿は江戸時代の老中を務めた淀城主永井信濃守尚政侯が、当宮の社宝である『天神緑起と勧化帳』(文安三年[一四四六])を見て大いに崇敬し、再興したものです。まず、寛永十七年(一六四〇)に本殿が再興され、続いて慶安元年(一六四八)に拝殿、神門、鳥居等が造営されました。いずれも現在に至っておりますが、特に本殿は江戸初期の建築様式を今に伝えるものとして貴重な建造物であります。
平成十五年一月に本殿、幣殿、拝殿が大阪府有形文化財の指定を受けました。
明暦二年(一六五六)大徳寺の天佑の手記によれば「京より西し、或は西国より上洛する者、老若男女貴賎を問わず、皆此の宮に詣でて、その輪奐の美に感ぜざる者無し」 と述べています。
以来、三百有余年の間五十年毎に御神忌大祭を齋行し、例年正月、五月、九月の三回に連歌を奉納して近年に至りました。また江戸中期から今日まで文楽や歌舞伎で演じられた『菅原伝授手習鑑』のうち「佐太村の段」は、当社が物語の舞台であることはよく知られています。明治元年三月二十二日、明治天皇大阪行幸の御途次、当地にあらせられました。
当宮御神殿の額『佐多天満大自在天神』は曼珠印良恕親王の御筆によるもので、一の鳥居の額『佐太天神宮』は二品竹内御門主良尚親王の御筆によるものであります。