八坂神社-やさかじんじゃ-
八坂神社
鎮座地

大阪府寝屋川市八坂町11-13

御祭神

素盞鳴命、住吉大神

祭日

例祭  10月16日

由緒

 当社創建年代は不詳なれど、第三十五代皇極天皇二年(西暦六四三年)の頃と伝えられる。第十六代仁徳天皇の頃、茨田の堤築かれしより、河内平野東部を南北に走る山脈丘陵に源を発し、高宮台地に迫り南に流れたる水が此の地に滞留し、広大な池となる。これを茨田の池と云う。
 皇極天皇二年七月、この池の水腐敗し、口黒く身白き小虫わきて池を覆う。翌七月、その虫悉く死し、その死骸水面十糎から十五糎の厚さとなる。その為池の水藍汁の如く変じ魚類死滅、悪疫発生し住民死亡する者多し。ここに於いて里人困窮し播州廣峯神社に疫病平癒の祈願を行う。霊験著しく、日成らずして終息す。人々これを忘れざるため、神恩報謝の心を以って其年、廣峯神社の分霊を播州より勧請し池の辺りに小社を建立。これを祇園社と称え里の守神として斎奉る。
 その後爾来年月を重ね、池の水渇き芦原となるを以て開墾し、数十町歩の農地を生ず。処々に五穀豊穣を祈願し豊受姫の命住吉大社を合祀し相殿斎奉る。
 当祇園社は代々茨田の池の茅を以って屋根を葺き、二十年毎に葺き代えしが、万延元年正月(西暦一八六〇年)時の代官多羅尾民部に願い出、永世不朽の瓦葺入母屋造りとす。現在の社殿是なり。
 住吉大神の合祀については、分明ならざるも、当時の交通は殆ど舟により行われたるを以って、水利に恙なきを祈りて水路交通を掌る神、住吉の四神を迎え相殿に斎奉った。
 年代は徳川初期と推定される。前記伝承の通り当神社奉斎の起源は病気、災難、厄(厄歳の災)を含めた厄除と、五穀豊穣の守護神とした社であり、同時に生れた土地、住まっている土地を守る産土神社的な性格をもって栄えてきた。
 厄除けの霊験殊にあらたかで、祈願して災厄を免れた多くの人が遠方よりお礼参りに訪れる。