- 鎮座地
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大阪府四條畷市清滝中町4-48
(旧地名)河内国讃良郡甲可村大字中野字大上山九二三番地
- 御祭神
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國常立尊、天照皇大神
猿田彦大神 (大正六年二月(一九一八年)逢阪村鎮座大上宮神社より遷座)
菅原道真公 (境内若宮社が寛永年間(一八五〇年頃)に倒壊したことにより合祀)
- 境内末社
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三神社 御祭神 天照皇大神、八幡大神、春日大神
両宮社 御祭神 天照皇大神、豊受大神
吉備社 御祭神 吉備大神 (明治五年四月(一八七二年)清滝村より遷座)
祇園社 御祭神 素戔嗚尊 (明治五年四月(一八七二年)中野村より遷座)
稲荷社 御祭神 稲倉大神 (明治五年四月(一八七二年)中野村より遷座)
- 祭日
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秋祭 10月17日
- 氏地
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(現在の地名) 大字逢阪、大字清滝、清滝団地、清滝新町、清滝中町、大字中野、中野、中野本町、中野新町、美田町、大字蔀屋、蔀屋本町、蔀屋新町
- 由緒
当神社の創建時の記録は現存しておりませんが醍醐天皇の御代延長五年(九二七年)に選定された延喜式神明帳には河内国讃良郡鎮座と記載されており古くから当地域の産土神として崇拝されてきました。
国中と云う名の如くこの地域の中心として所謂る四神相応の御鎮座地として最適な処であった事が今日でも明白であります。
東に生駒山・飯盛山の麓より流れくる清滝川に沿い西に大阪平野を見晴らかし南に浪速の港より奈良の都へ通じる清滝街道に接し北には清滝古墳群の丘陵地に囲まれた景勝地でもあり創建時より御鎮座地が一度も移動した記述はありません。
尚当神社は明治以前にこの地域の人達は口伝ですが別名大蛇宮と称していたとの記述がありますが何故大蛇宮なのか確定的な資料は見当たりません。
又旧社殿の建築年代についても詳細は判明しませんが建築様式上から推定すると延宝(一六七三年)頃の建築であると推定されていますが安永八年(一七七九年)江戸幕府による社殿改修許可を得て改修された記録に続き天保三年(一八三三年)にも改修した記録がありますがその後については昭和二十九年一月(一九五四年)本殿の屋根・神具庫の修理に続き昭和四十年(一九六五年)拝殿の改築・本殿の修理の記録があります。
又社務所については平成六年三月(一九九 四年)焼失につき平成七年五月(一九九五年)に再建され社殿・神具庫については近年に至り荒廃が進み維持管理がむづかしくなり氏子崇敬者の皆様のご協賛を得て平成十二年十二月(二〇〇〇年)社殿・末社(小宮さん)・神具庫を大改築すると共に玉垣建立境内の整備も併せて実施し今に至っております。