天田神社-あまたじんじゃ-
天田神社
鎮座地

大阪府交野市私市1-30-11

御祭神

住吉大神四柱

祭日

10月16日

由緒

 古代この地方は地味肥えた作物豊かな野であったので、甘野と謂われ、川は甘野川、田は甘田であった。この甘田に田の神を祀って建てた甘田の宮が当天田神社の起源である。
 交野地方は肩野物部氏の所領で、その先祖、饒速日尊は天の磐船に乗って河内の哮ヶ峰に天降った。と先代旧事本紀に記され長く交野の祭神となっていた。その物部氏が西暦五七七年敏達天皇の皇后、御食炊屋姫命(のちの推古天皇)にこの地を献じて、ここが私市部(きさきいちべ)となったのであるが、平安時代に入り、京都の宮廷貴族が遊猟に来ては盛んに和歌を詠み七夕伝説に因んで甘野川は天の川、甘田は天田と書くようになった。その頃住吉信仰が流行し、一方磐船の神も海に関係あると考えられ、さらに物部氏の衰退もあって、交野の神社の祭神は饒速日尊から海神であり、和歌の神でもある住吉神に替わって今日に至っている。境内から祭祀に用いられたと思われる、土師器が出土し、また近くに物部氏のものと思われる、巨大な古墳群が発見されるなど、当地の歴史の古さを偲ばせるものがある。