忍陵神社-にんりょうじんじゃ-
忍陵神社
鎮座地

大阪府四條畷市岡山2-7-12
(旧地名)河内国讃良郡甲可村大字岡山字忍岡三四九番地

御祭神

津桙大神、熊野皇大神、藤原鎌足公、馬守大神、大将軍神

祭日

秋祭  10月17日 (旧例祭日 11月8日)

氏地

岡山、岡山東、砂

由緒

 当神社は当地の豪族津桙氏の氏神として創建されたもので延長五年(九二七年)に選定された延喜式神明帳には河内国讃良郡鎮座津桙神社と記されており江戸期の神社縁起によれば人王四十代天武朝(六七五年頃)に熊野三山より熊野皇大神を勧請又清和朝(八七〇年頃)に武運長久を祈り忍岡に鎌足大明神と称しお祀りした記述があります。
 尚創建時は大字岡山八幡山に鎮座し奥之宮・下之宮と境内地は一五,〇〇〇坪余を有しておりましたが寛永十一年(一八五九年)に忍岡の地に遷座明治四十四年(一九一一年)に鎮座地の地名に因んで忍陵神社と改称すると共に砂東村(現在の字名奈良田地区周辺)の氏神馬守社と砂西村(現在の砂地区一帯)の氏神大将軍社の大神を合祀致しております。
 この合祀された馬守大神は古来より牛馬畜産の神として崇敬され大将軍神は日本最古の方除神として崇拝されております。
 又現在の社殿は昭和九年(一九三五年)室戸台風により倒壊した旧社殿跡に馬守社の社殿を昭和十年(一九三六年)解体移築したものですがこの社殿も江戸末期(一八八六年)から明治初期(一八八七年)の建物であることが判明しております。
 この社殿移築工事中に社殿東側から古墳時代前期(四世紀頃)の竪穴式前方後円墳石室が発見され保存の覆屋が設けられ貴重な文化財(大阪府指定史跡)として現存しております。
 特に忍岡の丘陵地は古代より開け栄えた処でありますが境内東参道入り口に往時この地を訪れた歌人が詠んだ忍岡古歌を刻んだ歌碑が建立されております。
 また永禄六年(一五六三年)にはこの処が岡山キリシタン発祥の地として文献に登場立派な教会が建っていた記述もあり元和元年(一六一五年)大坂夏の陣には徳川方の本陣が設けられ江戸幕府成立に重要な役割を成した処でもあります。
 戦後荒廃していた境内も昭和五十八~九年(一九八四~五年)に第一次神域整備が行われ社殿の補修・社務所の改築・手水舎の新築・玉垣の建立がなされ平成八年(一九九七年)に第二次境内整備として参道の補修・玉垣増設・スロープの新設・東参道鳥居の再建を行い今に至っております。