- 鎮座地
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大阪府守口市橋波東之町2-11-18
- 御祭神
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菅原道真公、素盞鳴尊、誉田別尊
- 祭日
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10月25日
- 由緒
当天乃神社の創建年月日は不詳であるが、奈良時代、橋波集落が開発されたころ、創建されたものと思惟され、少なくとも鎌倉時代既に信仰を集めていた。
有名なる四條畷の戦いは正平二年(一三四七年)十一月、楠木正成の子、楠木正行が山名時氏、細川顕氏等を住吉、天王寺に破り、翌年三年一月、門真に一番、二番、三番、四番、守口に五番、六番、七番、八番、十番の陣を築き、旧地名東橋波の当天乃神社を本陣とした。そのため、文字通り守口を布陣の尖兵としての善戦もむなしく、当神社社頭兵火を被りその折りの、後村上天皇の御宇正平の乱で当神社の御社殿が焼失された。
霊元天皇の御宇寛文十年(一六七○年)竹内門主良尚親王(北野寺務二品親王良尚)領主より菅原道真公の木像を下賜され、合わせて素盞鳴尊、誉田別尊を御鎮座せられる。現在に残る御本殿は少なくともこの時代か、それ以前に再建せられたもので桃山時代の遺構を含む史上重要な建築である。
東山天皇の御宇貞享四年丁卯(一六八七年)八月朔日牧野越中守より御祭神市杵嶋姫神を下賜せられ、当天乃神社に合祀せらる。この御祭神はその後、中御門天皇の御宇正徳二年壬辰(一七一二年)八月、故あって摂社厳島神社(現橋波西之町鎮座、市杵嶋神社)として遷座せられる。
当天乃神社は明治五年村社に列し、大正四年八月神饌幣帛料供進社に指定せらる。昭和二十七年宗教法人法に基づき宗教法人「天乃神社」として設立され現在に至る。
なお、昭和五十一年五月三日御社殿竣功なり正遷宮並びに諸祭儀齋行され、その後も引き続き神社改善諸事業が執り行われ隆盛発展の途にあります。
天神様を主祭神とする三柱なる御祭神を奉祀し、摂社を兼備奉祀する当神社は、明治、大正、昭和さらに平成を通じ、その御霊験の御顕現は近郊をはじめ、広く人々の崇敬を仰ぐものである。
- 摂社
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市杵島神社 市杵島姫大神
- 末社
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稲荷社 権大夫大神、八助大神
祖霊社 楠木正行、竹内良尚親王、牧野越中守
道開き芸能神社 猿田彦命、天之宇受売命
- 市杵島神社
由緒 前記の如く、貞享四年丁卯(一六八七年)牧野越中守より御祭神市杵嶋姫神を下賜され天乃神社に合祀せられた。この御祭神はその後、正徳二年壬辰(一七一二年)八月、故あって摂社厳島神社(現市杵嶋神社)として遷座せられる。記録類は厳島神社と記載されているが、戦後、御祭神の市杵嶋姫神の名を取り市杵嶋神社と記載されることとなる。戦前までは、「橋波の「弁天さん」「いちきねさん」」と親しまれ、殊に大阪市内の船場、島の内など芸妓等の信仰を集め、その後霊験の御顕現顕著なるを以って広く人々の崇敬を仰ぐものである。平成の今も一部の人達のよって深く信仰されている。