鶯関神社-おうかんじんじゃ-
鶯関神社
鎮座地

大阪府寝屋川市堀溝2-12-20

末社

天神社

御祭神

天照皇大神、菅原道真公、野々宮大神

祭日

例祭  10月16日

由緒

 当社は、堀溝の里は東に生駒飯盛の峯々を目の前にして、氏神様が祀られています。奈良時代行基菩薩が開かれた奈良街道の交通の要衝であった堀溝の里に関所を設けられ近年までうぐひすの名所であったところから「鶯の関」とも言われ現在の堀溝の地域の中に鶯関神社として鎮座されています。当社より北西三〇〇メートルのところに「野々宮塚」があります。当鶯関神社は、元々京都嵯峨の野々宮と同様(天照皇大神)を御祭神として天皇即位のとき伊勢神宮に奉仕された斎官が立ち寄られた由緒ある神社であります。江戸初期(永井濃守尚政)が領主であった時代、鶯の関所趾に野々宮から神社を移し菅原道真公を合わせ祀るようになったと伝えられています。その後、天満宮と称し現在の大念寺(寝屋川市堀溝)が旧跡地であるとされています。
藤原時代康資王の母君が詠まれた歌集に

 我が思ふこころも尽きぬ
  ゆく春を越えずもとめよ
   うぐひすの関

とあります。境内の手洗鉢には、天満宮明和四丁亥五月の銘があり鶯関神社と称されたのは、明和四年(一七六七年)ころと伝えられています。鳥居の「鶯関神社」の額は、従五位勲四等大邨屯の書であり、社頭額は(明治二十五年)十月山階宮晃新王の御筆であります。境内の石造物のうちで最も古い鳥居の柱貞享元年(一六八四年)の銘は玉垣の中に残されています。現在の石の鳥居は、嘉永七年(一八五四年)に建立されたものであります。境内には大木がうっそうと茂って厳かな神社です。境内には、末社天神社(野々宮大神・菅原道真公)が御祭神として祀られています。(追)末社天神社は、平成十七年九月二十五日に大念寺より当社へ移されました