三之宮神社-さんのみやじんじゃ-
三之宮神社
鎮座地

大阪府枚方市穂谷二丁目7-1

御祭神

素盞雄大神、御食津大神、大國主大神、天津神、住吉大神、仁徳天皇

祭日

例祭  10月15日
春祭  4月15日
秋祭  7月31日

由緒

 社記によれば、神功皇后九年秋、新羅国征討の時当地を御行幸されましたが、山深く谷険しく路難いため天神地祇に御祈願されました。その時神現あり「難路故各所ニ物ヲ置キ導キ奉ラント告ゲ給ウ」果して行軍の先々に白幣を筒竹に挟み所々に置き道案内をした、なを「皇后ニ軍謀秘策ヲ告ゲ給フ」皇后無事平定され御凱旋後喜ばれて幣白を寄進された。
 その後仁徳天皇二十九年春額田大中彦皇子に社殿建営を命じ創立した。孝謙天皇天平勝寶二年、勅して息筒大明神の神号を授け給い、文徳天皇仁壽二年、惟喬親王を遺はして正三位勲六等の宣下あり。後冷泉天皇治暦元年正月二十九日山火に係て灰燼に帰したが、八年後の延久四年再建される。
 後堀河天皇貞応元年九月賊徒の為に社殿等焼失しければ、嘉禄二年三月中原宗兼外當郷住の三十餘人に依りて再興せられ、爾来数回改造修復を加えられしが、慶長年間に大阪城の鬼門除けとして、豊臣秀頼により再興され交野三の宮と称した。
 今の社殿は寛永十一年の再建である。創建当時は息筒大明神と称したが、尾形大明神、住吉大明神と呼ばれたが、鬼門除けの交野三の宮と称した後三宮屋形大明神、三宮住吉大明神等呼ばれていた。

氏地と祭紀、祭礼

 祭式は最も厳粛に行はれ、往時は古軒と言われる氏子百三十九軒の古軒者は裃帯刀で拝殿に着座して祭紀を行っていた。古軒百三十九軒は交野三十九士の裔にして永禄年間では五ヶ郷(津田村、藤坂村、杉村、尊延寺村、穂谷村)の侍であった。
 祭礼に際して、嘉吉年間以来、住吉踊り を神前に催したが、応仁の乱に中絶、寛文二年再興したが安永六年に再絶している。その後雨乞の祈願祭の時にときどき行っていたが、現在は絶無となっている。
現在の社殿は平成の御大典を記念して、老朽著しい御社殿、拝殿等建造物を氏子崇敬者の皆様方のお参りを良くする様、宮司・役員・総代たち力を合わせ、平成二年より造営工事・境内整備を行い、平成四年に竣功致しました。