- 鎮座地
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大阪府枚方市長尾宮前1-12-1
- 御祭神
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菅原道真公
- 祭日
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10月19日
- 由緒
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元和元(一六一五)年大阪落城の後、徳川家康の命により、その旗本の久貝幡守正俊公が河州交野郡(四條畷・寝屋川の東部地域)を采地された。その頃長尾の丘陵地は荒野で河内、山城の国境で交通の要所であり、古来から戦略上の要地であったため、ここに陣屋を営まんとした。陣屋を建てるには村おこしが必要と久貝氏の家来細谷善兵衛氏は戸数十三戸の村民や近隣村民を集め、彼らと共に長尾の荒野山林を開拓し新田や畑を造った。開墾地は良い土壌で穀物の増収があり、この丘陵は「福をもたらす岡」とのことから「福岡村」と名付けたとのことである。その後も開拓を奨励したため、近隣村落からの移入者も第に多くばり、慶安三(一六五〇)年には戸数三三戸に増加、「鎮守をたてて村の団結を図るが良かろう」と京都長岡天神の分霊を受け、質素な氏神をこの地に建てたのが「菅原天神」の始まりであった。よって菅原道真公を祭祀する。その後年には陣屋も建ち、開墾地、戸数は増加の一途をたどる。やがて摂社として「峠天満宮」や「高野道天満宮」また、「水神宮」「高倉稲荷大神」「皇大神宮」が順次ご造営されたのです。当初の氏神天神は藁葺き屋根の粗末なものであったためか、この間一七三九年には氏神再建、一七五五年拝殿再建との記録もあり、その都度、村民、氏子の力によって修復や補修を繰り返してまいりました。近年になり神殿、拝殿、社務所建物は老朽化が著しく進み改築や修繕が困難となってしまいました。平成三年の年頭から神社再建の気運が高まり、氏子崇敬者の皆様のご支援ご協力によりまして、現在のお社のご造営事業が平成三年から始まりまして平成六年三月二七日に竣工したのです。
一方「福岡村」はその後「長尾村」と改称され、明治二二(一八八九)年藤阪村と合併して「菅原村大字長尾」となり、昭和一五年に菅原、津田、氷室の三ヶ村が合併して「津田町大字長尾」と変遷し、昭和三〇年に枚方市と合併し現在に至っています。